平成13年 9月のひかりちゃんの様子
平成13年 9月20日 (木)
 いよいよ、国立循環器病センターへ転院。

 下関から小倉まで救急車での移動。救急隊の方は、とても親切で優しく、光を大変気づかってくれて、光も嬉しそうに外を見て喜んでいました。

 小倉から新大阪までは、新幹線の個室で移動。車中、私にずっと抱かれて寝ていました。
新大阪から国立循環器病センターまでは、また、救急車で、こちらの救急隊の方も優しく光に接してくれて、無事病院に着く事が出来ました。

 国立循環器病センターに着いてからは、重症部屋に入り、24時間看護婦さんの目の届く所で治療を受けていました。国立循環器病センターは、完全看護の為、私は夜病院には居られません。初めて私と離れる為、すごく心配でしたが1週間もすると慣れてきて、先生や看護婦さんが通るたびに呼びかけて、結構楽しそうにしていました。

 こちらに来てから、光は明るくなりました。治療そのものは特に変わってないそうですが、沢山の子供が病棟内いる為、楽しいのか、安心したのか(下関ではずっと個室だった為、他の子供と会う事はなかった)、あまりストレスを感じなくなりました。唯一のストレスは水分制限が1日500mlと決まった事?

 そして、食事もたくさんとれるようになり、先生を驚かせていました。

 しかし、光の病気は日々進行しているようで、心臓の拡張も進んでいるそうです。点滴の入りが悪いと、肺うっ血を起こし、動きがにぶくなり、すぐに胸がゴロゴロと鳴りだします。顔色も悪く、きつそうに座っているだけの日や、昼寝が続く日もあります。体重も7キロをきり、6,800g台になりました。

 
平成13年 9月9日 (金)
 ミルリーラ(血管拡張剤+強心剤)の24時間持続点滴が始まりました。

首からの点滴ルートの確保のためか、薬が大変よく効き、元気になってきました。

 
平成13年 9月6日 (木)
 国立循環器病センターの小野安生先生の外来を受診するため、両親で大阪に向かう。

 小野先生に、光の現状を伝え、病気についてのいろいろな質問、移植への道のりを教えて頂きました。

 先生は、とてもやさしい方で、些細な質問も丁寧にわかりやすく答えてくれました。

 この時、私たち夫婦の意見は分かれていました。

 主人は、光ががんばって生きようとしている以上、移植の道へ進み、親として出来るだけの努力をしてあげようと。

 私は、毎日24時間光と過ごしていく中で、治療を続けて苦しむ姿を見続けていたため、もう、これ以上痛い苦しい思いをして、つらい思いをさせたくないと…。そして、息を引き取る時は、みんなに見守られて、私の腕の中でやすらかに見送ってあげたいと…。

 しかし、その考えが変わる日は、そう遠くありませんでした。

 9月に入って、病状はあきらかに悪化していきました。左胸が心臓に圧迫されて盛り上がってきました。今まで、いろいろな事がありましたが、私は頭のどこかで、光が「特発性拡張型心筋症」である事を否定していました。しかし、親の私があろう事か、「このまま光は死んでしまう」と直感する時が来てしまいました。

 茶堂先生に、「このまま光は1ヶ月、いや1週間生きる事が出来ますか?」と聞いていました。

 これまでの、茶堂先生は、この病気はいつ悪くなるか、落ちて行くのか見極めがかなり難しいと返答だったのですが、「今のままではもたない。あまり期待は出来ない」と、はっきり初めて言われました。

 それ程、悪くなってしまっていたのです。

 このままでは、光は楽に死んで行く事も出来ない。苦しんで苦しんで苦しんで…なぜ、1年しかいきていない、純粋無垢な子がこんな思いをしなければならないんだろう。私が変わりに苦しんでやる事も当然出来ない。くやしい…。

 茶堂先生に、「移植の道に進みたいと思いますのでよろしくお願いします」と言葉が出ていました。

 それから、転院に向けて準備が始まりました。


 
平成13年 9月5日 (水)
 茶堂先生より、国立循環器病センターの返答を知らされる。「移植適応あり」。

その日のうちに、紹介状を書いてもらう。

 
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